濱田浩一郎: 歴史学者・作家・武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー
記事掲載日:2026/4/27
2026年の大河ドラマは『豊臣兄弟』。豊臣秀吉の弟である秀長が主人公です。彼ら兄弟と切っても切れない重要な人物が、主君であった織田信長。厳しい、怖いイメージが強い信長は、意外な一面も持っていました。(歴史学者 濱田浩一郎)
※本記事は「ダイヤモンド・オンライン」より提供を受けて掲載しています。
1月4日にスタートしたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟』では、豊臣秀吉の弟で名補佐役と言われた秀長の生涯が描かれます。
そんな豊臣兄弟の主君となるのが、織田信長(1534~1582年)です。ドラマでは、小栗旬さんが演じます。
織田信長と言えば、皆さんはどのような印象を持っていますか?
「怖い」「すぐに怒りそう」「冷酷な人間だったのではないか」――このようなイメージを持っている人が多いかもしれません。
確かにそうした印象は間違いではありません。一方で、彼の周囲の人々が記した書物をひもといていくと、世間のイメージとはまた違った側面が見えてきます。
戦国時代の日本を訪れ、信長にも面会したことがあるポルトガル人の宣教師ルイス・フロイス。彼が執筆した『フロイス日本史』は、戦国時代の日本を知る上での貴重な史料となっています(中には誤解や誤りも含まれてはいますが)。
同書には、信長の身体的特徴や性格についてまとめて記されています。信長の身長は高くもなく低くもなく「中くらいの背丈」で「華奢な体躯」であったといいます。
信長は「軍事的修練」に勤んでいましたので、ほっそりとした体つきになるのは当然でした。信長の家臣・太田牛一が記した信長の一代記『信長公記』には若い頃(16~17歳頃まで)の信長が朝夕に馬の稽古、水練、鷹狩りに励んでいたことが記述されています。
『フロイス日本史』には信長の顔つきについても記述があり、髭は少なかったとのこと。また声は、はなはだ快調とあります。信長は戦場において大音声を発していました。
有名な今川義元との桶狭間の合戦(1560年)においても、信長は今川方に打ちかかる時に「すわ、かかれ、かかれ」と大声を張り上げています。 また弟の織田信勝方との戦の際には信長は敵方に対し、突如、大声を上げて激怒。その迫力と怒りの凄さに敵方は足を止め、逃げ去っていったと『信長公記』は記載しています。
どこまでこの話を信用するかという問題はあるにせよ、信長の声のインパクトはすさまじかったことがうかがい知れます。
『フロイス日本史』にも信長は「(家臣)一同からきわめて畏敬されていた」、また家臣らは「彼に絶対君主に対するように服従した」とありますので、家臣から恐れられていたことがわかりますし、前述の戦場での逸話も現実味を帯びてきます。 同書には信長は「非常に性急であり、激昂する」とありますので、信長の逆鱗に触れることを家臣は恐れていたのかもしれません。
と、ここまでは皆さんが抱いている印象と一致する部分かもしれません。
しかし注目すべきは、「激昂はするが、平素はそうでもなかった」と書かれていることです。つまり、怒る時には怒るが、普段から怒りっぽい人ではなかったかもしれない、ということです。
例えば、信長のやさしさが感じられるこんなエピソードがあります。
信長は美濃・近江の国境の山中に住む「山中の猿」と呼ばれた宿なしの身体障害者を哀れに思い、村人にこの人物を救済することを命じています(『信長公記』)。
信長は木綿20反を持参し、この人物のために使ってほしいと村人に願ったのです(具体的には小屋を作り、餓死しないように面倒を見てほしいと言ったそうです)。この信長の温情に村人もお供の者ももらい泣きしたといいます。
では、そんな信長はどんな時に怒ったのでしょうか。
天正元年(1573年)、信長は越前国の朝倉義景軍の追撃を抜かるなよと諸将(佐久間信盛・柴田勝家・羽柴秀吉・丹羽長秀など)に命じていました。
しかし、「好機を逃さず覚悟してかかれ」と再三命じていたにもかかわらず、結局は信長が先陣を切って敵方を攻撃することになります。 諸将は慌てて信長の後を追う始末。諸将が追いついた所で「何度も言っておいたのに。お前たちの失態、許し難い」と信長は文句を言うのでした。
「面目ございません」と諸将が平謝りする中、佐久間信盛だけが「そう仰せになりますが、われわれほどの優れた家臣をお持ちになることは滅多にあるますまい」と弁解に走ったのです。
この時、信長は怒りを我慢せず、皆の前で信盛を叱責しました。
「その方は男としての才知が優れていることを自慢しているのか。何をもってそう言うか」
信長は家臣たちをその場で、また皆の前で叱ることで「リーダー(信長)が大事にしていること、組織に求めることを伝えていこうとした」ともいえるのではないでしょうか。 それにより家臣の心を引き締めて、二度と同じ失敗を起こさせないように図ったのかもしれません。
もちろん、パワハラは絶対ダメです。しかし、部下に求めていること、組織の方向性をはっきりと面と向かって伝える。信長のリーダーシップには、現代のわれわれも学べる点があるかもしれません。